アイヌの遺産 雄武町幌内川の「チャシ」跡

雄武町内の幌内川下流域には、アイヌ民族の遺跡である「チャシ」跡が点在しています。

「チャシ」とはアイヌの人々が自然の丘陵や崖などの地形を利用し、壕(ほり)や柵などで区画して構築した施設です。以前は「砦」とも言われていましたが最近の研究から、地域や時代によって交通の要衝や見張り場、会議の場、神聖な信仰の場など、様々な機能があったようです。このように「チャシ」はアイヌの人々にとって大切な施設・空間であったと考えられております。

「チャシ」はその構造上の特徴から、①突出した台地の先端を濠で切った「丘先式(きゅうせんしき)」、②崖に面した台地に濠をめぐらした「面崖式(めんがいしき)」、③山や丘の頂上を利用した「丘頂式(きゅうちょうしき)」、④孤立した丘や島を利用した「孤島式(ことうしき)」の4種類のほか複合した形状のものもあります。

構築年代は概ね16世紀から18世紀に属するものが多いと考えられています。またその起源は最近の発掘調査の成果によると10世紀中頃まで遡る可能性もあるそうです。

便宜的に北チャシ、南チャシと区別していますが未だ公式なものではありません。従来、この北チャシが「リーチャシ」として広く認識されています。

「リー」は「高い」という意味で、「高いチャシ」または「高くあるチャシ」と意訳されています。川岸からは天空にそびえ立つ崖の上にあって、その眺望はまさしく「高い」・「高くある」ことを実感できます。

「ウォロカムイチャシ」は「水の神のいるチャシ」と訳されています。リーチャシの下流、切り立った絶壁の上にあります。眼下には幌内川の蛇行流路が見渡せて壮観な風景が広がっています。ここから「リーチャシ」を望むことができます。

「トーペツチャシ(丘先式)」「トー」は「沼」、「ペツ」は「川」の意味で、「沼と川にあるチャシ」という意味になります。現在も前方には幌内川の古い流路や沼地の面影をみることができます。

「高野チャシ」は土地所有者の敷地内にあることから名付けられています。ドーム状の丘を半円形に囲むように巡っております。

幌内川流域のこれらの「チャシ」の正確な年代は分かっていません。また古記録や研究者からは他にも存在する可能生が指摘されています。今後の詳しい調査が期待されます。