沢木小学校訪問

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観光協会の高橋理事長ご夫妻と話をしていた折、「沢木小学校の校長先生がすごく元気に頑張っているんだよ」というお話を聞きました。「興部町沙留の出身で・・・上野校長・・・」とそこまで聞いて、私もはたと思い当たりました。

私は紋別北高校(現在は紋別高校として紋別南高校と統合)の卒業なのですが、同じ学年で沙留から教師になった友達がいました。その当時はまだ国鉄の列車がありましたから、私は朝6:45雄武発の列車に乗って興部まで行きます。そこで名寄から来る列車に乗り換えます。興部発が7:29です。興部からも何人か友達が乗り込み、7:43に沙留に到着。車内は一気に賑やかになってきます。そんな連中とたわいもないことを話しながら、潮見町という紋別北高校最寄りの駅に8:02に到着です。

夏は加工場の匂い、冬は大山方面から吹き付ける風と格闘しながら僕らは500mほどあるまっすぐな道を歩いて高校まで行きました。教室には一足早く着いた滝の上や上渚滑方面の友達が来ています。汽車通(きしゃつう)仲間は紋別市内の連中より、やたらと早めに学校についていて、紋中や潮見中出身の連中からは「いなかモノ〜」とからかわれたものです。

さて、沢木小学校の上野校長先生。先日沢木・豊丘・共栄小合同の小学校一年生の社会科見学引率で道の駅にいらしたとき、偶然お会いしました。そのあと、沢木太鼓のことで小学校までお伺いし、一時間ほど昔話に花も咲かせました。面影は高校時代のまま、しかし、30年あまりの教員生活でたくましく成長していました。前任は遠軽中学校。校長として沢木小学校に赴任してどうですか?と尋ねたところ、満面の笑みで「すごくよかった」と答えてくれました。校長として色々なところに行った折には「雄武町の観光大使のつもりで宣伝しているよ」とも。

こう言っては上野校長に失礼かもしれませんが、お祭り好きなところは沙留の気質です。そして、その当時の紋別北高校は文化祭の仮装行列や合唱コンクールなどがとても盛んな高校でした。ロックバンドもかなりたくさんあり、色々なところで高校生がライブをやっていたという思い出もあります。そういうバックグラウンドが上野くんにはあるのです。

私も同級生が一小学校の大将として活躍している姿を見られてとてもうれしくなりました。

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