オホーツク街道をゆく「竜馬がゆく」「坂の上の雲」などたくさんの人気小説を書いた司馬遼太郎さんは「街道をゆく」という旅紀行文を書いていらっしゃいます。「街道をゆく」は1971年(昭和46年)に週刊朝日で連載が始まり、1996年(平成8年)に司馬さんが急逝されて43冊目で未完の終了となりました。

実は雄武町はこの「街道をゆく」第38巻「オホーツク街道」という本に登場します。司馬さんがオホーツク沿岸を車で旅したときのことが書かれています。その中に「紋別まで」(P334)という章があり、枝幸から幌内に着き、駐在所の巡査さんとの微笑ましい会話が綴られています。私は出版された当時図書館で借りて読んだ記憶があるのですが、今回観光協会の隣の商工会のMさんが貸してくださいました。

私の目を引いたのが江戸時代末期の大探検家松浦武四郎が幌内に来て、その原野の肥沃さを見て「将来、田畑をつくれば、きっと十万石になる」と書いていたことです。時は1846年7月22日水曜日です。天保暦では引化三年。将軍は徳川家慶です。この年には日本では大きな出来事は特になく平穏な日々を過ごしていたのでしょう。

しかし、その7年後アメリカのペリーが浦賀に黒船を引き連れ現れます。家慶は幕府が中心となって黒船対策をしている最中の暑い日、熱中症になり亡くなったということです。

さて、そんな折、大探検家の松浦さんは幌内までどうやってきたのでしょうか?なぜ、幌内だったのでしょうか?そのとき幌内には何があったのでしょうか?そう考えるとなんだかワクワクしてきました。

この松浦さん、調べてみるとたいへん偉い方でした。雅号が北海道人、実は「北海道」のいう名前の名付け親です。探検家でもありながら、浮世絵絵師としても有名、さらには好古家(こうこうか=考古学ファン・古代史ファン)だったらしく、北海道には6回来て150冊の調査本を残したそうです。

幌内にはアイヌ民族の聖なる場所もあるらしいので暖かくなったら取材をしてみたいと計画しています。